クジラ52
世界一孤独なクジラ、と呼ばれるクジラがいる。
またの名を、クジラ52。
クジラは、歌を歌う。
歌が彼らの言語なのだ。
歌を歌って仲間を呼び、また歌で応え、歌を歌いあって恋をする。
クジラの歌には、流行まであると言われている。
ベースとなる歌に少しずつアレンジが加えられては歌い継がれ、少しずつ歌が変化していく。
そしてその歌声は、15〜25Hzの周波数で歌われる。
みんな、その周波数で歌い、想いを交わし合う。
ところが、広い広い海の中で、たった一頭だけ、52Hzで歌い続けるクジラがいる。
その歌声は、ほかのどのクジラにも聞き取ることができない。
だから、その歌声にこたえてやるものもない。
誰にも理解されない周波数で歌う、世界一孤独なクジラ。
その回遊ルートは他のどのクジラとも異なる。
クジラは歌うことで会話をし群れを成すが、クジラ52の歌声は、誰とも交わることがないため、誰ともこうりできないのだ。
そして、その歌声は幾度か確認されているが、その姿を見たものは未だかつて誰一人いない。
この謎まみれの存在に心を奪われ、探し求める人たちもいる。
世界でもクジラ52を発見するためのプロジェクトが進行している。
しかし、ふと思う。
クジラ52は、本当に"世界一孤独な"クジラなのだろうか?
孤独とはなんだろう。
話せないこと?応えてもらえないこと?
仲間がいないこと?ひとりぼっち?
孤独とは、
自分を孤独だと認識すること、だと思う。
クジラ52は、誰とも話をしたことがない。
だから、他のクジラがお互い歌いあっていることも知らないかもしれない。
ずっとひとりで生きてきたから、生きるとは、ひとりで回遊し、ひとりで歌い続けることだと思っているかもしれない。
孤独を知らなければ、孤独に気づくこともない。
思い浮かべてみる。
気の遠くなるほど広大な海洋で、
その青の中、ひとり、大きな身体を悠々とたゆませ、朗々と心地よく歌い続ける一頭のクジラを。
世界一孤独なクジラと呼ばれながら、世界一、孤独を知らないクジラ。
海は広い。そして深い。
クジラ52は、今日もどこかで歌い続ける。